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大日山(四日市市)

概要

大日山は四日市市・神前(かんざき)地区により「大日山自然公園」として整備された小規模な丘陵地だ。ここも大阪の米相場を東京へ伝えるための旗振り山だったらしい。

2022年12月19日、神前地区コミュニティサイトにある神前ふるさと MAPを参考にして歩いてみた。

大日山

写真1 大日山

神前神社を出発して大日山の南にある大日寺を目指して歩く。神前神社の鳥居は、外宮の遷宮による古材を使うという立派なもの。境内には明治末に合祀された山神が並んでいた。神社から北に出れば民家が途切れる。釈迦ヶ岳と積雪で白い竜ヶ岳の間に見える丘陵が大日山だ。

写真2 弁慶石写真3 大日寺

大日寺の入口にある弁慶石に到着した。「高角山大日寺」とある。大日寺の西側に遊具が置かれた広場があり、その北西隅から西へ歩けば大日山の登り口に出る。

写真4 大日山登り口写真5 大日山案内板
写真6 大日山写真7 大日山

竹林のなかの整備された階段道を登れば、東屋、遊具、高角城跡の案内版などがある山頂に出た。周辺には樹木があって展望はない。M-GIS(三重県)によれば標高は62.2mで年寄りの運動には良い感じだ。(今昔マップの古い地形図には64.0mの三角点がある。)

ここから南南西へ3kmほど離れた大門山に米相場の動きを知らせるとの説明板があり、「神前の大日山」が書かれている。「旗振り山」(柴田明彦 2006 ナカニシヤ出版)では、この大門山の説明板を引用して大日山が紹介されているが、神前地区コミュニティサイトの出版物には大日山での旗振りの記載は見つからなかった。

なお、宮内庁の図書寮文庫に明治45年の「〔東宮〕嘉仁親王三重県下行啓記念写真帖」があり、大日山から四日市方面を望む写真が掲載されている。右下に見えるものは大日寺の屋根だろう。右端は大門山かも知れない。旗振り通信は大正前期まであったとのこと。これだけ視界が開けていたなら、当時は実施可能だったとは思う。

写真8 時計台写真9 神前大日山バス停

15時が近いので「神前大日山」のバス停経由で急いで戻り、主治医の依頼で遠方から父親の往診に応じてくれた皮膚科医院で支払いを済ませた。今日の目的はコレだったりする。神前神社から往復1時間足らずの行程だった。

和泉式部「化粧の水」・薬師堂夜泣き石・皇太子殿下御駐跡石碑

消防署中央分署の北東にある和泉式部「化粧の水」に自動車で移動した。しかし、直近にゴミ集積所があるのは何とも。自治会の役員は場所選定に苦労したとは思うが。

写真10 和泉式部「化粧の水」写真11 薬師堂・夜泣き石

さらに、尾平地区の大型店舗の北にある薬師堂の夜泣き石、神明神社の皇太子殿下御駐跡石碑へ。上記の写真帳には大日山に続いて谷田山での写真三枚がある。「御野立所」とあり、ここで東宮(大正天皇)が陸軍演習を視察されたのか。昭和の団地開発で谷田山はなくなり、石碑は神明神社に移設された。「ふるさと神前」P83に記載がある。

谷田山には高射砲2門、探照灯2台が置かれたが、「ふるさと神前」には続いて、四日市が焼夷弾による空襲で焼かれた日、何ら応戦することなく空襲は終わったとある。「完全に軍への信頼を失墜」とまで書かれたが、現場がセクハラの調査さえ実施できなかった自衛隊も大丈夫だろうか。

(作成 2022.12.21)