伊勢:朝熊ヶ岳
朝熊岳道を登って朝熊ヶ岳、金剛證寺へ。宇治岳道を内宮へ下り、宇治神社・足神さん、猿田彦神社から古市街道を外宮まで歩いた。
- 登山日
- 2024年12月7日土曜日
- ルート
- 朝熊岳道-朝熊ヶ岳-金剛證寺-宇治岳道-内宮-外宮
朝熊岳道
朝熊駅を8:34に出発した。登山口にある駐車場は既に満車で、駐車場内の公衆便所は清潔に維持されていた。
朝熊岳道は勾配があり足下の石コロに気を遣う。なので何度か登った割には登山道の全容が頭に入っていないが、ケーブルカー跡、道の真ん中の木(サクラだったか)、十九丁目の元・首無し地蔵は良く憶えている。二十二丁で朝熊峠の舗装道路に出ると展望が開ける。ここまで15人ほどの登山者・下山者に出合った。
国際日本文化研究センターのデータベースにある鳥瞰図には伊勢の観光案内がたくさんあり、例えば、ケーブルカー開業前の朝熊岳名所図絵(大正8年)には、宇治岳道(表口)だけでなく朝熊岳道(裏口)にも駕籠の便の案内がある。よくも駕篭を担いで登ったものだと思う。図絵の朝熊峠「二見道」には豆腐屋旅館と「かわらけなげ」があり、その東側には駕籠を利用した御木本さんの別荘が書き込まれている。
その別荘跡から踏み跡を歩いて朝熊ヶ岳山頂の八大龍王社に到着した。拝殿へ入るとなかにいた観光客の家族連れから「怪しい人かも」という感じの視線を受ける。こんな寒い日にTシャツで徘徊している爺サンなんて怪しい人かも知れない。
金剛證寺
金剛證寺の本殿(摩尼殿)にて虚空蔵菩薩を参拝する。秘仏の本尊は金ぴかの厨子のなからしい。
御守りなど置かれたものを見ていると、店番のように座っている女性のところへ参詣者が朱印帳を持って行く。たちまちに朱印が押印されて墨痕鮮やかに書き上げられた。何だか見事で有り難いものに感じられ、朱印帳を持ち歩く人の気持ちが分かるような。


初めて弘法茶屋へ入ってぜんざい餅を食べた。茶屋内には先客の家族連れ6人がおりストーブが焚かれている。
そして、おちんこ地蔵へ。10年前の9月のこと。週末に御嶽山へ王滝側から登ろうと以前に登った道順など思い返していると、何故か唐突に「おちんこ地蔵さん」という言葉か思い浮かんだ。気になるので秋分の日に朝熊ヶ岳へ登ってみたが何もない。ただ、やたらと疲れたので御嶽山はヤメたのだが、その週末に噴火のニュースが放送された。
子どもを授けてくれるという「おちんこ地蔵」は下半身を露出しているアレな地蔵さんなのだけれど、どんなご縁があるのか。地蔵さんを参拝して宇治岳道へ。
宇治岳道・内宮
宇治岳道は平坦に近く、距離があるので時間ばかりが経過する。前記の図絵では、一宇田峠、楠部峠に茶店があったとのこと。宇治岳道をバスが運行される以前のことだ。出合ったのは登山者とトレランが各3人だけ。朝熊岳道に比べると何時も少ないように思う。
混雑する「おはらい町」を歩いて宇治橋から内宮へ入った。正宮は階段下まで行列があり参拝まで15分を要した。
宇治神社・足神さん
宇治橋を出て、五ヶ所へ行く県道へ入ってバス駐車場を通過すると宇治神社がある。宇治四ヶ町の鎮守社とのことだが「足神さん」の白い旗ばかりが目立つ。




石段を登ると「足神さん」の小さな社殿があった。案内板には「老狐が足を傷して」とあるので記紀にある神様ではないらしい。また、ヒザを傷めませんように。十年後も元気に歩けますように。
古市街道・外宮
猿田彦神社を参拝して古市街道へ。内宮~外宮を結ぶ古市街道は歓楽街だったが、現状は住宅街の人通りが少ない道でしかない。伊勢古市参宮街道資料館へ入って展示を見ていると、内宮~外宮間に鉄道や新道が出来て誰も古市を通らなくなり廃れたとのこと。
外宮を参拝し、伊勢うどんを食べて伊勢市駅から帰った。今日の歩行距離はGPSによる計測で23.2kmになる。最近にしては良く歩いたが、まだ足りない。古市街道で麻吉旅館の入口を失念したこと、外宮にある「せんぐう館」の開館時間に遅刻したことが悔やまれる。また、近いうちに来ましょう。
行程表
08:34 | 朝熊駅、出発 |
08:46 | 朝熊ヶ岳登山口駐車場(8:46-8:56) |
09:58 | 朝熊峠 |
10:12 | 朝熊ヶ岳山頂・八大龍王(10:12-10:18) |
10:29 | 金剛證寺(八大龍王登山口 10:29 - おちんこ地蔵さん 11:23) |
13:13 | 内宮(宇治橋 13:13 - 宇治橋 14:03) |
14:12 | 宇治神社・足神さん(14:12-14:26) |
15:49 | 外宮(15:49-16:05) |
16:36 | 伊勢市駅、到着 |