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関宿祇園夏まつり

亀山市観光協会のサイトに「関宿祇園夏まつり」が告知された。この祭りでは、宿場内の狭い東海道を山車4台が巡行し、台車上の舞台が回転する「舞台廻し」が行われる。今年は7月21日・22日の開催とのこと。21日土曜日の午後、関宿に出かけた。

関宿は西から東へ、新所、中町、木崎の3地区からなる。当日は、午後に神輿渡御、夕刻から山車の巡行となるが、猛暑の為に関神社での舞台廻しは中止。20時からの中町での舞台廻しのみとなった。

写真1 関小学校・電子基準点写真2 電子基準点付属標

15時過ぎ、臨時駐車場の関小学校に自動車を置いた。駐車率1割以下。校庭の南東隅には電子基準点がある。石榑小学校の電子基準点は基部にサッカーボールの跡が残っていたが、こちらは邪険に扱われてはいない。「マムシ注意」で立入禁止のヒモが電子基準点に巻き付けられている程度だ。

亀山市関文化交流センターの図書室に立ち寄るが、興味を持てる地域資料は鈴鹿関町史くらいしか置かれていない。仕方ないので炎天下に出た。

写真3 関宿:大裏の山車
写真4 関宿:大裏の山車

小学校西門から東海道へ南下すると、大裏(北裏)の山車が曳き出されている。関の山車4台のうちで最も小型のものか。最上段の人形は神官のカラクリ人形とのこと。何だか怪しい。関の山車は「舞台廻し」という独特の技を使える。台車の上で舞台が回転するが、一見して特殊な構造との印象はない。

写真5 関神社の神輿、観音院前にて
写真6 関神社の神輿、御旅所にて写真7 灯おどり用の燭台か

新所の観音院前で神輿に追いついたが、見守る人は行事関係者、地元の人、カメラ小僧の爺さん達が少しだけ。炎天下で神輿を担ぐ若者達は何か吠え続けているが意味不明。家々に立ち寄りながら西進し、神職が待つ御旅所へ17時に到着。神輿を何度か旋回させてから御旅所に入った。

祝詞の奏上が始まったところで御旅所を辞して、東の中町、木崎へ向かう。

写真8 関宿:中町三番町の山車

玉屋前を通過すると、東海道に面した倉から中町三番町の山車が曳き出されている。提灯には大小の菱形を三段重ねにしたロゴマークがある。三番町の意か。

写真9 関宿:木崎の山車

百五銀行を通過すると、木崎の山車が関神社から東海道へと曳かれてくる。そのまま東の追分まで歩くが木崎に人の気配がない。皆、山車を曳きに行ったのかと思うほど。

写真10 関宿:中町四番町の山車

関神社前では中町四番町の山車が準備中。神社の参拝を終えて出てくると、この山車も東海道へ曳き出されて行く。提灯のロゴマークは「四」の字か。

写真11 関宿:中町三番町の山車
写真12 関宿:中町三番町の山車

18時を過ぎると関宿内が混雑し始めた。中町三番町の山車が地蔵院に向けて動き出す。曳き綱2本に多数の曳き手、笛、太鼓に唄が歌われるが良く分からない。鈴鹿馬子唄の一節らしいものが聞き取れただけ。

地蔵院前では試しか舞台廻しが行われた。舞台の四隅にタオルサイズの布を掛けて引っ張り回転させる。舞台や乗車している子供の重量を考えると、割と簡単に回転しているように思われる。

写真13 関宿:中町三番町の山車
写真14 関宿:中町四番町の山車
写真15 関宿:木崎の山車
写真16 関宿:中町四番町の山車
写真17 関宿:中町三番町の山車
写真18 関宿:中町三番町の山車
写真19 関宿:中町四番町の山車
写真20 関宿:木崎の山車

中町三番町が地蔵院から山車倉前に戻り、提灯に灯りが入った。他の山車も同様。この時期、19時30分を過ぎないと暗くならない。関神社前での舞台廻しが中止された為か、全体に山車の動きがないままに時間が過ぎていく。

写真21 新所方面の東海道

手持ち無沙汰なので徘徊する。新所からは盆踊り風の楽曲が聞こえるが、「灯おどり」の踊り手の姿はまだ見えない。屋台が並ぶ地蔵院はティーンエイジャーで溢れ返っている。ここだけ違う空間のようだ。ようやく山車が中町の会場へ移動し始めた。

写真22 関宿:中町三番町の山車
写真23 関宿:中町三番町の山車
写真24 関宿:中町三番町の山車
写真25 関宿:中町三番町の山車
写真26 関宿:中町四番町の山車
写真27 関宿:中町四番町の山車
写真28 関宿:中町四番町の山車
写真29 関宿:中町四番町の山車
写真30 関宿:木崎の山車
写真31 関宿:木崎の山車
写真32 関宿:大裏の山車
写真33 中町会場にて
写真34 中町会場にて
写真35 中町会場にて
写真36 中町会場にて舞台廻しが始まった

狭い東海道の道脇にへばり付いて移動する山車を見送る、中町会場に山車4台が曳き揃えられているので移動するが、この会場だけは大混雑。舞台廻しが始まったが、これは写真に撮り難いところがある。

写真37 玉屋前
写真38 玉屋前
写真39 電気用品店
写真40 関宿の東海道

中町会場を離れ、人波が引いた東海道を散策して駐車場に帰った。駐車場からは次々と自動車が出て行くが混雑してはいない。

「鈴鹿関町史」には、木崎の熊野三所大権現、新所の笛吹大明神、久莪の白石神社、古厩の大井神社などが明治40年~42年に関神社に合祀されたとのこと。ならば神輿渡御は新所への笛吹大明神の里帰りなのだろう。この風流な名称で検索すると、天岩戸で笛を吹いた神様とか、笛吹き当番だった大山祇の神様とか出てくるが、「関町郷土史」には天太玉命とあり、三重県神社庁のサイトも同様。何時ものことだが良く分からない。

一方、山車巡行は熊野三所大権現の行事か。神事の一部とはいえ、夕刻の舞台廻しを中止できたことは、良い時代になったことの証かも知れない。あろうことか、連日の猛暑で豊田市の小学生が授業で亡くなっている。まあ、これ、tombstone safety(墓石安全)と言ったかも知れないが。なお「関の山車」については、亀山市歴史博物館のサイトが詳しい。

(作成 2018.07.23)