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糠塚山・久留倍官衙遺跡

概要

ときに、四日市市の糠塚山とその周辺を徘徊している。糠塚山は丘陵地の東端にあり、ここから伊勢湾に向かって平野が広がっている。

ここには聖徳太子の御料地との伝承がある鵤(いかるが)の地名が残り、式内社・伊賀留我神社(寛永期に分社して2社ある)が存在する。近年、久留倍官衙遺跡が発見されて賑やかになった。

久留倍官衙遺跡公園 - 2020.11.22

写真1 久留倍官衙遺跡

2020年11月1日、遺蹟の整備が終わり、久留倍官衙遺跡公園としてオープンした。上の写真はその案内板(拡大表示)。

遺蹟は三期に分かれ、第一期のうち八脚門は木造復元、正殿は鉄骨建屋(休憩所)、正殿前広場を囲う塀の柱跡は花崗岩の石柱が置かれている。また、第二期の建屋跡も石柱、第三期の正倉院跡にはタイルが置かれた。北勢バイパスの高架が遺蹟の東側(正倉院上空)を通過するので、東向きの遺蹟から見る伊勢湾の景色はぶち壊しとなった。

写真2 史跡 久留倍官衙遺跡写真3 八脚門
写真4 第2期 長大な建物跡写真5 八脚門の柱
写真6 正殿(休憩所)と八脚門

案内板には『「壬申の乱」、「聖武天皇東国行幸」の史実と結びつく可能性がある』と控えめ。「古代伊勢国朝明郡の郡衙」とまでは書かれていない。夜は伊勢湾や石油化学コンビナートの夜景が見えるはずだが、正殿や八脚門からは高架が邪魔をしており煙突くらいしか見えない。斜面を下れば高架下から見えるが高度不足に思える。

くるべ古代歴史館 - 2018.08.24

くるべ古代歴史館が2018年3月に開館している。場所は久留倍官衙遺跡から北勢バイパスを挟んだ南東側。小さな建物があった。駐車場から、道路の向こうに整備中の遺跡公園が何とか見える。整備完了は来年度末になるらしい。いずれにせよ立入禁止だ。

四角い展示室は、三期にわたる遺跡の変化、映像資料投影面、壬申の乱などの歴史、企画展示の4面構成。それに遺跡三期の立体模型や、当時の衣装を着た人形が加わる。館員のおじさんなのか、小学生を捕まえて聖武天皇の行幸など説明しているが解るのだろうか。滞在中は少数ながら来館者があり、閑古鳥が鳴く程ではなかった。

写真1 くるべ古代歴史館写真2 遺跡公園

自動車で遺跡の西側(墓地側)に移動してフェンスから見ると、既に建物が一棟完成している。正殿らしいが質感が今ひとつに思われる。18ヶ月後の整備完了時には化粧直しをするのだろうか。ここは丘陵地の東端にあり、断層で伊勢平野へと高度を落としている。目前まで海が迫り、海岸線を原始東海道が通過していたのか。しかし、現状は北勢バイパスの高架が目隠しのように展望を塞いでいる。詰まらない。

天武天皇迹太川御遙拝所跡 - 2008.03.16

写真3

壬申の乱で北勢地域を北上した大海人皇子は、迹太川(とほがわ)で伊勢神宮を遙拝し、戦勝祈願をしたとされる。迹太川は所在不明だが、糠塚山周辺を遙拝地とする説がある。「四日市市史」によれば、大矢知町・斎宮の「天武天皇迹太川御遙拝所跡」が昭和16年に県指定記念物になっているとのこと。

伊賀留我神社(北)から西に出て、十四川を変形交差点で渡ると、その「天武天皇迹太川御遙拝所跡」の石碑(昭和16年)がある。場所が解らず附近を探したが、変形交差点から西へ入る狭い道が正解だった。

県指定記念物の案内板には、指定理由を平成14年に枯死した「天武天皇のろしの松」と伝承される老松があったためとしている。なお、隣の石碑(昭和十年三月三重懸)には、「日本書紀曰天武天皇元年六月丙戌旦於朝明郡迹太川邊望拝天照大神蓋此ノ附近ナラン」とある。

糠塚山 - 2008.03.16

写真1写真2

国道1号線から四日市東ICへ向かう富田山城道路沿いにあるガソリン・スタンド(コーナン)の東側から御嶽神社に入る。その駐車場から竹林の小径を登り、夏季は遠慮したい細道で雑木林の山頂に着く。ここには二等三角点・大矢知村(67.3m)が置かれているが展望はない。「点の記」には御嶽神社から約3分とある。

この山頂には「天武天皇神宮遙拝所跡」の石碑(裏面:大正四年御即位記念 旧鵤村)が建つ。山頂から南へ道のない藪を下ると浄恩寺裏の墓地に飛び出した。

斎宮山 - 2008.03.16

久留倍官衙遺跡の南にある斎宮山(いつきやま)にも登ってみた。スーパーマーケット裏に西から入る農道が残っている。これを登ると小さな梅園があり、ここから竹林に入って山頂を探したが、そこは展望がない藪だった。

久留倍官衙遺跡 - 2008.02.24

伊勢国朝明郡の郡衙(役所)、東海道の駅舎、聖武天皇東国行幸の仮宮などと取り沙汰される久留倍官衙遺跡が北勢バイパス工事で見つかっており、平成18年に国指定史跡となった。(文化遺産オンライン久留倍官衙遺跡 - 四日市市

発掘調査が終わった久留倍官衙遺跡は、埋め戻されて整備事業待ちの状態だ。小高い丘に更地のように広がっているが、北勢バイパスの高架が完成すれば、伊勢湾の展望は目隠しされて、伊勢神宮を遙拝できる地理的条件を実感できなくなってしまう。残念なことだ。四日市市は遺跡公園として復元する計画である。

写真4
写真5
(作成 2009.01.07、最終改訂 2020.11.22)